宮城岳風会会歌の成り立ちについて(会長 渡会岳弘)

9月発行の会報にさて何を書こうかと迷っていたら、一部の会員の方から会歌についての質問がありました。
会歌は毎年配られている「審査吟題」に掲載されているが、大会等ではいつも会歌の一番と四番しか合吟しない、またよく詩の内容が分からないとの声がありました。
それでこの7月の指導者研修会で師範の先生方を対象に勉強会を致しました。そのうちに師範の先生方から教室で説明があると思います。

宮城岳風会の発足は昭和45年4月12日です。この会歌ができたのが発足から5年目の昭和49年4月28日、当時の会長は大場岳凌先生です。
当時はまだ会ではなく「宮城支部」として 「支部歌」として制定致しました。 詩作村井光風 譜付佐藤岳養先生 (元福島岳風会会昭和54年3月17日総本部の承認を得て 「宮城支部」から「宮城岳風会」と改称されました。

この時、村井先生は「光風」から「一岳」となり、以後の詩文は一岳で記載統一しています。 村井先生は県南船岡に居住し、修養錬成所「天心館」を作り、会の吟道普及に大いに貢献された大変立派な方です。
県南地区の根拠地はここからスタートしたわけです。

村井先生は若い頃中国上海東亜文書院大学において学んだ漢学の知識を基にしてこの会歌が作られたもので、宮城岳風会の指針・柱になるものです。この会歌が皆様の心に溶け込み愛されることを願っております。
よく詩は心の叫びといいます。先人の作ったこの詩・会歌から学ぶものが沢山あります。 どうぞ教室においてみんなでこの会歌を口ずさんでください。

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2023年09月17日