【宮城文学散歩】大伴家持 =黄金山神社(涌谷町)=

「陸奥国より金を出せる詔書を賀く歌」反歌一首

  須売呂岐能(すめろきの)
    御代佐可延牟等(みよさかえむと)
  阿頭麻奈流(あずまなる)
    美知能久夜麻爾(みちのくやまに)
    金花佐久(くがねはなさく)

「おくのほそ道」石の巻

芭蕉は、山深い鄙(ひな)の地と思っていた石巻日和山に来て数百の回船が集まり、人家は所狭しと立て込んで、炊煙が立つさまを見て驚き、感銘を受けました。
その賑やかなさまを導くために「こがね花咲とよみ奉たる金花山海上に見わたし」と万葉の歌人・大友家持が詠んだ「天皇の御代栄えむと東なるみちのく山に黄金花咲く」から引用しています。実際には、日和山から金華山は見えませんが、文章に登場させています。
このように江戸時代まで、一般的には金華山が日本初の産金の地と考えられていました。

日本初の産金の地「涌谷」-黄金の国ジパングのはじまり-

18世紀初め、仙台の儒学者佐久間洞厳は、大友家持の歌の「金花佐久」から金華(花)山の地(牡鹿郡)が往古の黄金山神社と解釈しました。
しかし、19世紀初め、伊勢白子(現在の三重県鈴鹿市)の国学者・沖安海(おきやすみ)は、史料、出土品、地理的環境などを検証した上で涌谷説を提唱しました。

昭和32年東北大学文学部考古学教室・伊藤信雄教授による涌谷町・黄金山神社周辺の発掘調査が行われ、出土した瓦や建物跡から天平年間(729~766年)頃に六角円堂と考えられる仏堂が1棟建てられていること、付近の川から砂金が採取できることなどから日本初の産金の地が涌谷であることが実証されました。
そして昭和42年、「黄金山産金遺跡」の名称で国史跡に指定されました。

令和元年5月20日には文化庁から、宮城県涌谷町・気仙沼市・南三陸町、岩手県陸前高田市・平泉町の2市3町で申請した「みちのくGOLD浪漫-黄金の国ジパング、産金はじまりの地をたどる-」が、「日本遺産」の認定を受けました。

今でも箟岳山の川や沢で砂金が採れるそうです。黄金山神社に隣接する天平ろまん館で、「椀がけ法」による砂金採りの体験ができます。興味のある方はいかかでしょうか。

聖武天皇が盧舎那仏(るしゃなぶつ)建立の詔を発す

聖武天皇の時代、たび重なる地震、疫病(天然痘)、天候不順、飢饉などの禍から、脱しようと遷都を繰り返していました。今と似たような困難な時代だったようです。
そのような中、聖武天皇は仏教の力によって国家を鎮護するという「鎮護国家」の思想に基づいて、天平13年(741年)に全国に国分寺と国分尼寺を建立する詔を、天平15年(743年)には盧舎那仏(るしゃなぶつ)建立の詔を発します。
聖武天皇が信仰した「華厳教」の教えによると「盧舎那仏」の仏身から放たれる光明が人々を救うとされていました。
計画された盧舎那仏は鍍金することで、永遠に照らし続ける高さ18mの世界最大となる金銅の大仏でありました。

大仏建立にあたっての最大の課題点は、大仏が放つ永遠の輝きを鍍金によって完成させることでした。そのための多量の金を国内から集める見込みがまったくないまま、建立工事は進んでおり、大仏の完成が危ぶまれていました。
そのような中、天平21年(749年)、陸奥国守百済王敬福(むつのかみくだらのこにきしきょうふく)は、小田郡で金が算出したことを報告し、黄金900両(約13Kg)を奈良の都に献上します。
※百済王敬福は古代朝鮮半島にあった百済国の子孫。

万葉集に登場する地名で最北・最東の歌

小田郡の産金を慶ばれた聖武天皇は、年号を天平感宝(てんぴょうかんぽう)と改めて、詔を発しました。
天平時代の万葉歌人として有名な大伴家持は、その詔に応じて、天皇の御代を讃え産金を祝う長歌1首と反歌3首「陸奥国より金を出せる詔書を賀く歌」を「万葉集(巻十八)」に残しました。
この歌で家持は産金の地を長歌には、
「鶏が鳴く東の国の陸奥の小田なる山に金ありと奏し賜へれ…」と詠んでおり、
万葉集に登場する地名の中で最北、最東の歌となっています。

家持がこの歌を詠んだときは、越中国守(現在の富山県)として任地にいましたが、晩年は陸奥按察使鎮守将軍(むつあぜちちんじゅしょうぐん)として多賀城に赴任し、没しています。
文献等の記録にはないそうですが、家持が黄金山神社を訪れていたかもしれません。
因みに万葉集に詠まれた地名の西限はみねくらの崎(長崎県南松浦郡三井楽町)、南限は薩摩の迫門(鹿児島県阿久根市と長島の間)です。

宮城岳風会50周年記念大会で「天皇の」を吟じます

和歌「天皇の」は宮城岳風会50周年記念大会にて上演予定の構成吟『おくの細道』より「みちのく旅めぐり」の吟題の一つとなっています。令和3年2月7日(日)の開催を予定しています。
会員のみなさまの記念大会への参加をお待ちしております。


出典:わくや万葉の里「天平ロマン館ガイドブック」
   新版 おくのほそ道 現代語訳/曽良随行日記付き(角川ソフィア文庫)
   奥の細道を歩く(JTBパブリッシング)、涌谷町ホームページ

2020年10月14日